とりあえず歩いてみようと思う。

ADHD/ASD診断済みで毒親持ちの白衣の天使が呟きます。

③毒親に無断で相続放棄した話

新しい職場のブラックさにも負けない!

ナイチンゲールのハートは祈りのしるし!

飲みたてフレッシュ、キュアマグミット!

フレッシュ!プリキュア

 

新しいプリキュアにどうぞご期待下さい!

 

 

こんな文章を通勤電車の中で入力してたらいつの間にか6駅くらい通過しててびっくりしました。これぞ時間の無駄ですね。

話は戻して相続放棄の話をするために弁護士さんに会ったお話を。

 

片道2時間かけて行った弁護士さんの事務所。年末なので通常業務はお休みなのにわざわざ対応してくださったことに感謝しかありませんでした。

基本的に話を聞いて頂いて、まずは何を頼みたいのかを中心にしながらも母親と関わらずに相続放棄がしたいと言う話を。

また、今後母親と関わらずに済む方法を検討していた時だったので住民票ロックをしたいと考えているんですが、どうにかして縁を切る方法は法的に無いかと言うことも伝えました。

この時はどうしても感情的になってしまって母親と絶縁したいという話が前面に来てしまって最初弁護士さんを困らせてしまったのですが、徐々に落ち着きを取り戻して

 

①まずは母親との関係性をわかってもらった上で母親と関わらずに相続放棄をしたいこと

日本国籍を持っている以上は無理なことを分かっているが今後どうにかして母親と合法的に縁を切る方法がないか聞きたかったこと

 

この2つを伝えることができました。

最初母親との絶縁の話が前面に出ていたせいで弁護士さんも苦い顔をされていたのですが真意が伝わったところ話はトントン拍子に進みだして。

まず、相続放棄について。

 

簡潔に言えば弁護士さんに頼めば母親と連絡を取らなくても、自分が手続きをしなくても相続放棄はできました。

 

父が亡くなってから1ヶ月が経っていて、ちょうど年末年始に被ってしまうこともあり書類を集めたりする関係で時間はあまりないですが…と言われましたが、ここで朗報が一つ。

 

相続放棄家庭裁判所に申請するのが3ヶ月以内であれば間に合うそうです。

 

当たり前だそんなこと、なんてツッコミが聞こえそうなんですが。

うまく回っていない頭では3ヶ月以内に手続きが終わらなきゃいけない…!と思って焦っていたのですが、あとで改めて調べてみたらちゃんと書いてありました。

改めてここで思うのは一つ。

身内が死んで冷静じゃない状態でこの手続きするってかなり大変だね?ということです。

頭も回ってないし事実を受け入れることも大変だし現実はそんなのお構いなしに毎日いつも通りに動き始めるし。

多分先輩に弁護士さんを紹介してもらわなければ結局自分でやって手続きが上手く行かずに相続放棄を諦めていたかもしれない、そう思います。

 

因みに料金は

相談料 1時間5,400円

(紹介のため相談料を半額にしてくれました)

依頼料 50,000円

雑費  10,000円

(印紙や切手、申請料金など。足りない場合は別途請求あり)

合計 65,400円

 

思ったより安くない???

正直ネットで調べてたので一応予算としては10〜20万円くらい用意してました。

なにそのお手頃プライス???弁護士さんちゃんとお給料出ますか???なんて余計な心配まで生まれたくらいです。

確かに自分でやったら実費だけで済むし、司法書士さんに頼めばもっと安く済みます。

でも、この値段は安心の為の値段だと思うと安いとしか思えませんでした。

この時既に母親から実際に会ったら刺しかねないなんていうメールも来ていたので、母親のことを思い出すだけで吐きそうなレベルの精神状態でした。でも、この弁護士さんに頼めたことで本当に少しかもしれませんが安心することができました。

 

何より、

今後何かあったときに頼れる法律のプロと繋がることができた

という安心感は半端じゃなかったです。

 

我々看護師も専門分野があります。私だって今までずっと担当していた科のことなら分かりますが、産婦人科や手術室での看護は新たに勉強しないとわかりません。それは弁護士さんにも言えることであって、得意分野があって専門以外はあまり得意じゃないという方もいらっしゃいます。

なので私は本当に思うのは、

毒親と揉めたりしてる人は児童案件に強い弁護士さんに依頼しましょう!!

毒親への理解がある人だと話も分かってくれるし何より親子関係が拗れてることを理解してくれてることが強みになります!

 

とりあえず内容が薄いですが弁護士さんとの初対面はここらへんで。

次回は依頼後から手続き終了の流れについて書きたいと思います。

②毒親に無断で相続放棄した話。

こんにちは。お盆も前向きスクリーム的なノリでお仕事してるゆきのです。このネタがジャニオタさん以外に通じるのかは疑問です。

 

先日投稿した相続放棄のお話の続き。

 

相続放棄を専門家に頼むって言ってもどこをどう辿ればいいの………?となっていた私。

なのでまずは信頼できる人で相談できそうな人に片っ端から声をかけてみたりしました。

 

まずは某保険会社に勤めている10年来の親友へ。

→保険契約者向けに弁護士に相談できるルートはあるが、保険契約者の嫁もできるかは分からない(旦那が彼女の会社の保険に入っていました)。司法書士さんの伝手があるからそこに相談してみては?とのこと。

連絡先を教えてもらい、連絡しましたがまずは父が亡くなってからな話な上に相続放棄するならお母さんに相談してからのほうが……と言われたのでそこで相談を終わらせました。

 

相談できるならこんな話ここでしません。

 

そして、学生時代熱中していた活動の先輩はあちらから声をかけてくれたのですが、なんとこの先輩、法学部もある大学を卒業してるので知り合いに弁護士さんがいっぱい。しかも学生活動をしてたからFacebookのお友達は1000人超えというコミュ力お化けでした…あの頃はただのなよなよしてる頼りない人だと思っててごめんなさい(笑)

前回載せた弁護士さんからの回答をくれたのもこの先輩です。でも、この先輩の人脈を使ってもなかなか私が希望する弁護士さんには出会えず。

父が亡くなったという連絡も受けた為、諦めて相続放棄だけでもする為に法テラスでも行ってみるかーと思っていた頃。

 

先輩から連絡が入りました。

 

とある弁護士(ここぼかしてます)の知人がいまして、もしよかったらおつなぎできるのですが、ご本人に聞いていただけますか?

また、どんな手段でおつなぎするのがよいか、教えてください、とお伝えください!

と、別の知人から

 

繋いでもいいか?

 

この連絡、吉報以外になんと言えばいいんでしょう。先輩は片っ端からこんなことに強い人がいないか当たってくれたそうです。最近では年に1回くらいしか連絡を取らない人だったのに。なんでここまでしてくれたんですか?と聞いたら、昔の恩返しと言われました。あの時頑張ってよかったと本当に思えたし、昔の繋がりって本当にずっと生きるんだなあって思いました。

 

因みに先輩は私の出身地である地方都市在住です。そして、紹介してくださった方はその地方都市から飛行機もしくは新幹線を乗り継いで行くような距離の方で。そんな二人が出会ったのは都内のイベントで、紹介して頂いた弁護士さんは同じ首都圏でも私が住んでる場所から電車で片道2時間の距離。

 

よくわからないけどよく私弁護士さんに辿り着いたね??としか言えないくらいの出会い方でした。

 

因みに弁護士さんと繋がることができたのは父が亡くなったのを知ってから約3週間後のことです。父が亡くなってすぐに連絡手段は教えてもらえたのですが、どうしても母との関係を指摘されることが怖くてなかなかできませんでした。実際はそんなこともなく優しくメッセージで対応してくれたんですが。

そんなこんなで弁護士さんと繋がることができましたが、今回の一件で学んだことが一つ。

 

頼れるものは何でも頼ったほうがいい。

 

という当たり前のことでした。

自分一人で頑張らなきゃ、そう思ってましたが実際問題法律関係の知り合いもいないし毎日残業の日々では頑張れる訳がありません。

自分は一人で頑張ってる、そう思ってました。

でも、周りを見てみたら意外に頼ってもいい人たちがいて。自分で視野を狭めていただけなんだなあって実感しました。

勿論頼り過ぎはあれですけど。

 

そして弁護士さんに会える日がやってきます。

続きはまた。

①毒親に無断で相続放棄した話。

思ったよりもかなり長くなったので分割することにしました。

更新に時間がかかるとは思うのですが、温かく見守って貰えれば何よりです。

 

 

私の父は昨年亡くなりました。

その際に毒親である私の母親と騒動があったのですが、それについては詳しく書いた記事があるのでそちらを参照してください。

今回は私が父親の相続放棄をした時のお話をさせてください。

 

私は父と亡くなる前、最後に会ったあとから相続放棄のことを考えて動いていました。確かに父が亡くなっていない段階でこんなことをするのは鬼畜なのかもしれません。

でも、父が亡くなった後に知識も何もなければ母親にまた丸め込まれてしまうと思ったから。

父が最期に私にくれた「好きにしろ」と言う言葉。

それを無駄にしたくなかったから。

自分の人生ちゃんと生きていきたいと思ったから。

 

話を相続放棄に戻します。

今回私が相続放棄をしなければ、と焦っていた理由は母親が作っていた負債のせいで。母親名義はまだ今は良いとしても、母親が家計を握っていた為父親名義でもクレジットカードが何枚もあって。勿論キャッシングもしていると考えられます。

 

私が絶対負債があると考える理由は小さい頃からありました。幼い時に見た父親の給料口座の通帳にはマイナスが付いていました。それを見て小学生くらいまでは通帳に皆マイナスが付いているものだと思ってました。うちの家だけじゃなくって誰でも。

後々それが異常だと言うことに気づくんですけど。

しかもクレジットカードも何枚も持っていて、父親名義で作ったカードを母親が色々と使っていたのを覚えているんです。クレカのキャッシングについては確実にあることは分かっているけれど、いくらあるかは最早考えたくもないというか。

銀行の方も小学生の頃にはもう3桁に近い借金があったと言う事は、今頃どれ位に膨れ上がっているのか考えたくもない訳で。正直父が亡くなる前から相続放棄すると言うことは母親だけではなく父にも伝えていました。

 

父が亡くなったらすぐに相続放棄の手続きをできる様にと考えてはいても。

正直20と数年程度しか生きてない上に今までそういう手続きは携わったことが無い為自力で調べる所から始まります。

 

私の希望として、

自分でもできることは知っているけど、知識も時間もないのでプロに任せたい

と言う考えは最初からありました。

 

理由として、

①戸籍がバラバラ

とある地方都市生まれの私ですが、何故か本籍は山手線のとある駅が目の前にあるという立地。日露戦争と同じ年に生まれた祖父が戦前に住んでいた住所だそうです。

戦前って最早いつから状態。

それでいて父の最後の住所は東京から離れた地方都市

そして私は首都圏のとある県に本籍と住所を移していて。

 

私何ヶ所役所に行けばいいの??

 

せめて父の本籍が最後に住んでいた地方都市であれば良かったのに。

その上、私はすでに結婚していて父の戸籍からは離脱している為、戸籍を取るとなると母親の協力が必要なのではないか?という不安がありました。

(正直ここは弁護士さんにお願いすることを決めてから詳しく調べてません。その時私が思った不安なこと、としておきます)

 

父の状態が急変していたのが10月ということもあり、手続きが年を跨ぐ可能性もあったのでそうなると戸籍集めや書類作成を自分でやることにはリスクしか感じませんでした。

 

②何かあった時に頼れる法律家の方と繋がっていたい

これから先母親との関係性がどうなるかわからない以上、何かあった時に弁護士さんに介入してもらうことは以前からずっと考えていました。正直父親が亡くなる前から母親との関係性を相談しようとしていたのですが、私の先輩の知り合いの弁護士さんに母親の話をしたところ、こんなメッセージが来ていました。

 

ちょっと全体的な親子関係は、弁護士や警察さんマターにするのは慎重にした方がよいと、老婆心ながら思いますね。火に油を注ぐ結果になりかねないですね。

相続放棄は、本人以外は手続き出来ないと思います。詳しくは弁護士さんですが、これもお母様と直接連絡取らずにエビデンスを取っておく形が先ずは望ましいですね。

取り敢えず、法テラスか弁護士会の電話相談などで、出来るとこまで進めて、といった感じでしょうか。

警察さんも弁護士さんも大事には出来るでしょうが、大事になると更に修復不可能どころか、悲惨な結果になる恐れが心配です。

 

知人を介してですが、弁護士さんからの返答を見て頭を抱えたのは言うまでもありません。

だからこそ、今回相続放棄ではありますが家族背景などまで分かって下さっている方にお願いしておきたくて。

何かあった時の安心感がやっぱりあると思ったんですよね。私の仕事でも専門領域があって、自分の領域以外のことは簡単には分かるけど正直に言うと深いことは分かりません。弁護士さんもそれと一緒だと思ったんですよね。

 

③正直時間が本当にない

父が亡くなった時は、普通に夜勤もやって日勤でも毎日19時から20時位に帰るのがデフォルトな職場だったので、休みの日はアクティブに動くなんてまず無理!!!!みたいな状態でした。

それなのに色々な場所から戸籍を取り寄せる?家庭裁判所に行く?そんなことできるか!!!ということで最初からプロにお任せしようと思ったのは正直此処が一番大きかったかもしれません。

 

 

因みに、相続放棄って一応親族に報告しなきゃいけないかも?

とか思うかもしれませんが、

 

勝手にやっても大丈夫です!!!むしろ権利!!!

(※一応報告できる様な信頼できる親族がいるとか迷惑をかけたくない親族がいたら報告することも必要だったりするとは思います)

 

そしてなんとか弁護士さんを見つけることができたのですが、そのお話はまた次で。

母親に殺されていたかもしれない事実。

 

仕事柄、人の相手をすることが主な仕事と言っても過言ではないけれど。

その中でよく言われる台詞が、

 

「貴方みたいな娘さんがいてお母さん幸せでしょうね」

 

って言われるんですよ。

しかもかなりの高確率で。

 

あと、

「こんな娘さんを育てたなんてご両親はとてもいい人なんでしょうね」

とか。

 

正直、心の中では

「母親からはお前みたいな冷たいやつ見たことない!って言われてますけどね」

「娘をサンドバックにしたり父親が死にそうな時に葬式代で100万寄越せとか平然と言っちゃうような親ですけどね!」

って思わず呟いちゃうんですけど。

 

今日はそんな親から受けてきたたくさんの虐待と現在のワタシについての話。

 

先日、何気なく業務をしていた時。

よく担当していたことからかなり親しくなった60代くらいのご婦人に上記の様なことを言われて、思わず自分の身の上を少し話したことがありました。最近千葉で毒親が子供を殺してしまった話を交えて。

まあまあ深い話をしたとは言え、そこまで深く話す時間もなかったけれど。

その人が返してくれた言葉が、

 

「そっか。貴方もかなり苦労してたんだね。貴方はなんとか生き残ることができたんだ」

 

と言ってくれたんです。

こういう話をした時に生き残ることができたって共感してくれた人が初めてで。

大体みんな「でもお母さんも貴方のことを思ってるのよ」とか母親の愛情は絶対!母性神話的な話を返してきてたのに。

生まれてかれこれ20何年。

初めて母親から受けてきたことが虐待だと、今もしかしたらここにはいなかったかもしれないと言うことを指摘されました。

 

正直生きていることって当たり前ではないけど当たり前のことだと思うんです。

だからこそ経験が無い人には生き残ることができたってそんな何言ってんの?と言われるかもしれないんですが。

最近千葉の毒親が起こした事件を見て思わず考えてしまうことの一つ。

あの子と同じ様に私も母親が頻繁に学校に来てクレームをよく出していて、正直先生達からどの学校でもマークされていたと思います。高校生の時には先生が私を助ける為に私抜きで両親と先生達の五者面談をしてくれたこともありました。でも、母親に言った所で明らかな虐待の痕跡が無いから何もできず。私はそのまま何とか大人になり自力で親元から抜け出したけど、

 

もしかしたら私も先生達の対応次第では千葉の事件と同じ様に今ここにいなかったかもしれない。

 

中学生の頃何度か児童相談所に駆け込もうかと思ったこともありました。でも、こんなことで駆け込んでいいのかな、と躊躇して結局駆け込まず。その話を相続放棄を依頼している弁護士さん(児童案件に強い方)に話したら、

 

「それは駆け込まなくて正解だったと思います。今でこそ毒親が認知されて対応もされているけど、あの当時はなかなかそういう認識もなかったですから」

 

と思わず苦笑いと共に零していました。

そして、私が児相に駆け込んでいたら私も今頃ここにいなかったかもしれないしれない、と言った時に明確に否定をせず苦笑いをしていて。

その時は思わず鳥肌が立っただけで済んだけれど、先日のご婦人の発言を聞いて改めて実感したというか。

 

私ももしかしたら、殺されていたかもしれない?

 

何故かそう思いました。でも、この流れならば感じて当然だとも思うけど。色々と頭の中で考えました。親は子供を大事にしなきゃいけないんじゃないの?私って、え、私が生きてることって結構運が良かった感じなの?的な。

普通に考えてごく普通に生きてきた人間が自分が殺されるかもしれないなんて思いますか?それがしかも自分の親だったなんて思うことなんてありますか?

それを感じた時、本当にじんわりと、だけども半端じゃない恐怖が襲ってきて。

千葉の事件のニュースを見る度に、思わず考えてしまうんです。私はただ運が良かっただけ、もしかしたら殺されていたかもしれないって。考えずにはいられない。本当に、あの犯人の行動が母親とそっくりすぎて。

 

ここにいなかったかもしれないと言うだけなら違う未来を選んでいて違う仕事に就いたりしているかもしれないと言う話がメインというか。基本この言葉だと生きている前提なんですよね。もしかしたら選んでいたかもしれない未来と言うだけで明るくも取れますし。

でも、殺されてたかもしれないだとそれは一気に恐怖に変わるというか。

 

実の親に?殺されそうになっていた?

生まれてから一番傍に居てくれるはずの人間に?

 

そう思ってからは何故か本当に恐怖が先に来てしまって。母親の名前を出したり母親のことを少しでも考えるだけで手指末梢がチアノーゼを起こして動悸息切れが止まらなくなります。

以前から精神科の先生にはPTSDを指摘されて居ましたが、症状的にも確定してきているのかなと感じました。

改めて。母親が私に与えたものはちゃんとした教育じゃない。虐待だ。そう思えたのでそこは良かったのかもしれませんが。

でも、普通の人たちはこんな感情にはならない訳で。何故私はこんな感情に苦しめられなければならないのかと頭を抱える最近です。

 

まだこれから住民票ロックの作業も待っているのにどうしたものか…。

誰だって自分の親を好きで毒親なんて呼ばない。

 

最近毒親について色々と話題になることが多いのをTwitterのTLで見かけます。

 

毒親と呼ばないで、という言葉。

 

正直、この言葉を聞いただけで吐き気がする。あくまでも私の個人的主観ですが。

 

親には親の思いがある?

親に目を向けないのはフェアじゃない?

子どもにも親の気持ちをわかってほしい?

 

じゃあ言わせてください。

 

子供が好き好んで自分の親を毒親だと呼びたいとでも思ってるんですか?

何が楽しくて自分で自分が虐待されてきたなんて認めないといけないんですか?

 

私の場合。

父方の祖父母は近くにいたけれど、祖父は両親が結婚してから亡くなってしまい祖母は母の事を疎ましく思っていたせいで育児の協力は得られず。

母方の祖父母は最初両親の結婚に反対していたので私が生まれてから連絡を取り始めた上に、片道3時間の距離に住んでいて。

母にとって周りにはほぼ協力者がいない状態で私はとある都市部の核家族で産まれ、育ちました。

私が生まれた日は、母が生まれてからちょうど数十年後の日。

母は出産の時に色々とあり生死を彷徨ったそうですが、私がその日に生まれたことを父は神様からのサプライズプレゼントだな、とよく言っていました。

 

私が産まれてからは父も幼稚園頃まで仕事が忙しかったのもあり育児には協力できず。母は私を産んでから仕事を辞め専業主婦に。元々友人も少なく、また新たに友人を作ることもせずいつも娘の私と2人きりでした。

確かに、母の置かれた状況を考えればかなり苦しかったと思います。

しかも私は発達障害持ち。当時は障害のことは分かっていませんでしたが、話を聞いていた限り目を離すこともできずかなり手のかかる娘でした。

母は都市部から大分離れた田舎町で育っており、自分が叶えたかったことはほぼ全て叶えることができませんでした。

だからこそ娘には自分ができなかったことをさせてあげたい。そう思っていたと母から聞いたことがあります。

私が育っていく中で色々あって生活も大変だったと思いますが、最低限の衣食住には困らなかったし職業学校にまで通わせてもらって国家資格まで取ることができました。しかも母に言われて色々な習い事もさせてもらったし、中学生の頃から携帯だって持っていたし、色々な社会的活動をしていたこともあります。色々な所にも連れて行ってもらいました。

 

一応、ここまで育ててくれたことにはお礼を言います。

それでも、20代半ばになった今。

私は母と絶縁し、あの人を毒親と呼ぶことを選びました。

 

ここまで来るのにどれだけ覚悟が必要だったか。思考回路がショートするんじゃないかと思ったくらいには考えたし、何十回、何百回と間違っていたんじゃないかと思い自分を責めた事もある。何度も夢に母が出てきていつも責められます。見捨てる、と言うことを選んでからも本当に良かったのかなんて何度も考えた。周りからどう言われるか、その覚悟だって決めたしどんな言葉を受けたって仕方ないって思ってる。

 

それぐらい悩んで、苦しんで、病みそうになるくらい考えて。

毒親と決別することを選んだんです。

 

確かに今までの生活はもっとひどい家庭からしたら全然比べ物にならないくらいに良いものだと思うし、ここまで育ててくれた、と言う事実はある訳で。

 

でも、今このブログを書きながらどうしてもあの人に対しての『感謝』って言葉が書けないんです。

 

育ててもらったことに対しての感謝よりも、今まで受けてきたパワハラや暴力、過干渉についての苦しみや辛さ、教えてもらえなかったことを大人になってから学ばなければいけなかった労力、条件付きの愛についての恨み。どうしても感謝よりもそちらが勝ってしまうんです。

後、何よりも自分自身の人生を自分で歩いていくためには親が側にいては立つことすらできない状態でした。だからこそ絶縁という最終手段を取るしか私に残された道は無かったんです。

 

私だって、普通の家庭に生まれ育ちたかった。

孫を見せたり子育てのアドバイスをしてもらったりしてもらいたかった。

結婚式で両親に対して感謝の気持ちを伝えたかった。

ベールダウンとかしてもらいたかった。

幸せな思い出を沢山つくって、最期は両親をちゃんと看取ってあげたいって思ってた。

 

 

 

普通の娘ならできること。

それを全部できない、という選択肢を私が取ることを決めた理由は他の誰でもなく母親のお陰です。

 

きっと、この思いを母親に伝えたら私はこんなに頑張っているのにだの今まで育ててもらった恩をなんだと思ってるんだだの今までかかった教育費全部返せだの言ってくるんでしょう。

 

確かに絶縁を選んだのは娘の私だし、母親の意見など聞いてないので人のせいにするなと言うかもしれません。しかも自分からしたら20何年間頑張った結果がこれじゃあ確かに納得行かないのは分かります。

でも、普通評価って自己評価だけじゃなくって他者評価が入りますよね?

いくら自己評価が満点だったからと言って他者評価が0点じゃそれは及第点にはなりませんよね。毒親と呼ばれる人たちに言いたいのはそういうことです。

 

私達は毒親じゃないと言うのは勝手です。

自分で思う分には日本国憲法でも保障されていますし誰が干渉することだってできません。

ただ、貴方達が毒親と呼ばれるに至ったのは子供という他者からの評価があったと言うことだけは忘れないでくださいねってことです。

勝手に主張する分には構いませんが、その主張を他人にまで押し付けんなよ、と言いたいのです。

 

子供という存在は確かに親からしたら血を分けた大事な家族だと思います。

でも、子供は1人の人間であって親の分身や身代わりではありません。ましてやお人形さんでもありません。

 

 

子供に対して何かがあったからこそ毒親と呼ばれてるんだと言いたいんですが、結局こんなことを書いたところでそういう主張をする人たちには伝わらないんだろうな、とここまで書いてから思いました。

なんと言うかあの本が発売されたというツイートを見てから母親のことを思い出して手の震えは止まらないし夢に母が出てきてひたすら説教されるしなんていうか本当にしんどかったんですよね。毒親って軽い気持ちで使ってる人もいるんでしょうが、毒親と呼んでいる子供の中にはこういう子どもも居るということで。

あくまでも私の超個人的な感想+主張なのでした。

 

 

 

母親に関わるものをすべて拒絶する身体。

父が亡くなって早1ヶ月と少しが経って。

最近の私はというと、

母親に関係するものの話をしたり写真を見たりすると手の震えが始まり手指末梢にチアノーゼが起こり動悸息切れが激しくなるという症状に見舞われています。

父が亡くなった直後とかは母親の話をしたとき録音した会話データを聞いたときしかこの症状は発生しなかったんですけどね。

最近、なんと。

 

母親の話をした時だけではなく、地元の写真を見たりお土産屋さんの袋を街でたまたま見かけただけで症状が出るようになりました。

 

どうすりゃいいのよこれ。

地元の話を聞くだけでも震えが止まらなくなるんです。因みに地元の話と言っても今の時期に行われてるイベントの話とか職場で観光名所はどこに行ったら良いのかと聞かれただけなんですけどね。そんなレベルで私の心と身体はどうやら母親の存在を拒否しているようです。

あと、よく実家で食べてた食材や料理も食べられなくなりました。白菜とか豆腐とかその他諸々。食事についても後に語りたいのでここではあまり触れませんが、大体母親に無理矢理食べさせられた物は基本受け付けなくなっているようです。

 

先日、まだ症状が母の話をしたときだけだった時にいつもの精神科の先生に現状を話したら、

 

「そんなの誰だって受け止められなくて当然だよ。戦わないでいい。逃げなさい」

 

そう言われました。

その時はいやいや、私が戦わなかったら誰が戦うのよと思っていましたが、今なら分かります。

 

こんな状態であんな話の通じない人と関わったら私のメンタルが致死レベルになる。それだけは確実だと思います。

仕事もかなり忙しく考える暇も無いように自分では思っていたのですが、なんだかんだダメージは来ているようでふと時折自殺について考えたり自分がなんで生まれてきたのかを考えたりなんてこともありました。

抗不安薬が追加になって居たのですが、この追加がなければ本当に病んでたと思います。

 

こういうとき、戦うのは私しかいないって大変なんだなって思います。あの人を母に持つ以上は一生苦しむかもしれないけれど。

 

とりあえず、この症状については来月受診したときにまた相談しようと思います。

色々と考えなきゃいけないことが多すぎて、頭を抱える毎日です…。とりあえず今日は相続放棄について弁護士さんに相談に行ってきたのですが、その話はまた後日。

親不孝な娘?そんなことは分かってる。

このブログにも少しずつ記事を上げていますが、開き直ってる様に見えて実は未だにもやもやしていることがあります。

それは、

 

私、なんだかんだ言って周りの人に迷惑かけまくりじゃない?

めちゃくちゃ親不孝なことしてない?

 

ということです。

あんだけ開き直ってるように見えても、実はかなり葛藤はしてます。ずっと。

傍から見て、深い事情を知らない人が私達親子の関係を見たらなんて親不孝な子供だろうと思われるでしょう。親はただ私のことが心配なだけかもしれないのに。

と、そんな様なことを。

 

正直、自分が親不孝なことは自覚してます。

親の面倒を見ないと決めた時点で、兄弟が居ないので周りの人たちにどうやっても迷惑がかかることも。

親を残して地元を離れると決めたことも。

全部。

 

 

でも、学生時代のある日、考えたんです。

自分がこのまま大人になって、母親が隣にいる人生って幸せなのかなって。

母親の敷いたレールの上をひたすらに歩いていくことに意味なんてあるのかって。

これを考えたときは本当に何気なく考えただけで、そこまで深くは考えませんでしたし気にしてませんでした。むしろ、この地元から出たい!というただそれだけで就活をした記憶があります。

でも、母親が頑なに他県に就職する私に反対した瞬間、自分の中の対抗心が芽生えました。ここは母譲りの頑固さに感謝するというか。父親に協力してもらってなんとか内定承諾書の保証人欄も記入して提出し他県に内定を勝ち取りました。この間3ヶ月はまともに母親と口を聞かなかった記憶があります。

その後学校を卒業し、就職して。職場に居るといろいろな世代の人と接する機会があります。特に私の同僚はベテランの方が多く、母親と同年代の方も多く居ました。その中で自分の育ってきた環境が何となくおかしいということに気づき始めて。そして、後に結婚することになる彼氏と出会い、彼の家族を見て更に自分の家族のおかしさに気づきます。

 

親からの愛というものは、自分が何かしたときなどに得られる条件付きのものではない。

子供が育っていくのを、そっと見守って必要な時に背中を押す親も居る。

 

他にもたくさんありましたが、この2つだけは本当に驚いたことでした。自分の家では絶対にありえないことで。

 

彼の家は、私からしたら画面の向こうでしか見たことないような家庭がありました。

そして今。

彼氏だった人は今私の隣に夫として居ます。

夫と話したり毎日を過ごしている中で、ふと感じるんです。

ああ、幸せだなあって。

実家にいた時や母親とのつながりを持っていた時にはいつも私の考えの中に母親がいました。こうしたらいいかな、お母さんはこれならいいっていうかな、どうやったらお母さんの機嫌を損ねないでいられるだろう。そんなことばかり。

いま、そんなことを考えずに過ごしている日々がとても幸せです。

まあ、母親がいつ私の目の前に現れるか分からないという恐怖は日々ありますが。でも、それも然るべき対応を現在しているので、いつか落ち着くと信じて。

 

とりあえず、話がいろんな方向にずれましたが、私は反省はしてるけど後悔はしてないです。自分が自分の人生を生きていく上で、誰かの許可なんていらないって気づけたから。

だからこそ、頑張らないと行けないから。