とりあえず歩いてみようと思う。

ADHD/ASD診断済みで毒親持ちの白衣の天使が呟きます。

父の死を知った日。

母親からは、あんたがこの仕事できてるの?と言う感じであなたよりも私のほうが詳しいんだから!!とキレられたこともありましたが、一応分野が似ている仕事をしている母親と違って、私は母ができないこともできる専門性を持った国家資格を取り日々働いている訳であって。

 

そんな私のお仕事は真夜中であろうが早朝であろうが夕暮れであろうが基本的に24時間営業なのでいつでも誰かしらが職場で働いています。

そんな夜通し働くシフトで働いていた日。

時計の針が0時を過ぎてからやっと自分の休憩に入れたので一息ついた時、事件は起きました。

 

仕事中は基本的にロッカーに置きっぱなしなスマートフォンを見ると、以前適当に登録してしまってから頻繁に電話がかかってくる転職エージェントからの留守電の他に、もう一件知らない携帯番号からのメッセージが。

 

何気なく夜食の春雨スープを作りながら聞いていた。それは草木も眠ると言われる丑三つ時位のこと。

留守電を残した人は、名前を聞いて一瞬思い出せないくらいには暫く会っていない人。

 

 

私は父親の死を親族からではなく、両親に縁のある知人からの留守番電話で知りました。

 

 

母親の決意はそれぐらい強かったんでしょうね。本当に何も連絡も来ませんでした。

母方の親戚からも何も連絡はなし。どうせ母親がきっとあれこれあることないこと全部吹き込んでるのでしょう。

しかも、留守電の内容も内容で。

今私の携帯は電話をかけると自動で録音する様に設定しているのですが、その録音されたデータを聞いて未だに何回も頭を抱えています。思わず文字起こしアプリで文章にしてしまうくらいには意味がわからなかったというか。

 

電話の内容がこちら。

最早呆れて悲しみすら感じないのでふざけたツッコミを含む解説も合わせてどうぞ。

 

貴方は 私がいなかったら
この世に生まれてきてません
だから 責任があるので

連絡いたします

………実は私の本当の父親でしたとか言い出しかねない始まり方。思わず父親と私が二人で写ってる写真を見て間違いなく親子と言えるくらいには瓜ふたつなことを確認しましたよね。

 

ご存知かもしれませんが
明日 貴方のお父さんの
火葬が行われます

 

〇〇市の〇〇会館にて
9時半からお別れ会をして
その後火葬致します

まず、この電話がかかってきたのは0時ちょっと前になってました。私が今住んでるところから実家のエリアまでは新幹線+αの距離。そして私は朝食後位の時間までお仕事。

夜勤をしていなかったとして、地元発の始発に乗っても始発の新幹線には乗れなくって。

 

どう考えても間に合わないだろ。

 

しかも、私にも責任があるって言ってる時点で私が親父死んだこと知らない前提ですよね??それなのに突然この電話??ドラえもん呼んでどこでもドア必要なレベルだよね?

 

骨を拾う気があるんだったら
なにがなんでも来てください
お母さんに対して
お父さんに対して
素直にやらないと
貴方が後で
とんでもなく苦しむことになります

人生最後になって
取り返しのつかない苦しみを
抱きたくなければ
なにがなんでも来て
心から本当の素直な気持ちで
お父さんやお母さんと会ってください

自分はどこぞの宗教家だとでもこの人は思っているんでしょうかと考えてしまうくらいの文章。父親と私がどんな思いで死に目に合わないって言ったか分かってないのに余所者は黙ってろこの野郎って感じです。サッカーとかなら一発レッドカードで退場レベルの発言です。きっとこの人も母親の言葉を全部信じてるんでしょうね。

 

それにしても母親に対して心から本当の素直な気持ちで………って。

 

なんでお前が生きてんだよ生きてるだけで周りに迷惑かけてるようなクズが

とでも言えばいいのかな?

それとも

 

実の娘に捨てられる悲劇のヒロイン気取りな状態ですが、気分はどうですか?最高ですか?

とでも聞けばいいんだろうか。

正直言うと、私をいびっていた祖母の葬儀のときに参加を拒否した私なので、実際に母親と会ったら言いかねないセリフだと自分でも思いました。

因みに貴方が一生苦しむことになりますと言われても、苦しみ感じてないんですけどね。むしろ母親と私の関係性が切れるのであれば喜びのあまり公道で

「やったーー!!!!自由だーー!!!!」

とかランニングにパンイチとかで全力疾走しながら叫べるレベルで嬉しいですけどね。

やらないけど。

 

悩んだ結果
私にも責任があるので
貴方が生まれたのには私が影響してますので連絡しました

母と父が結婚したのはこの人が影響しているとは聞いたことがありますが、私の人生にほぼ関わってくれてないこの人に何故ここまで言われる必要があるんでしょうね?この人まじで私の人生にほぼ関わってないんですけど。っていうか親の知人で時折家族ぐるみでの付き合いがあった程度としか言えない人で。名前を聞いたとき一瞬「…誰?」ってまじで言いかけました。勝手に責任とか感じられても困ります。私が困ったときに助けてくれたわけでもないし親戚ですらないでしょうが。

 

そんな電話を聞いても今更誰かに勤務を変わってもらうこともできず、朝まで仕事をするしかなくて。仕事が終わって事情を知ってる上司にこのことを伝えたら目が真ん丸になって口がポカーンと開いてました。人間驚いたときって本当にそんな顔するんですね。

 

と言うことで、父親が死んだそうです。

母親からは本当に何も連絡もないし、親戚からも一度着信があっただけで何も連絡もありません。連絡したところで母の言葉を信じている人達と話しても自分が傷つくだけだと唯一味方で居てくれた遠い親戚が言ってくれたのでこちらからはまだ何も行動は起こしてないです。

 

父親の命日も知らないし、最期がどんな状態だったのかも分からないけれど。

父親とのお別れは、充分にできていたのでその部分については後悔はありません。むしろ、予想よりも少し長く生きることができたので、きっと想像を絶する痛みで辛かったでしょう。その為に薬を使って眠りについていたので。

本当にお疲れ様でした。

と心の中で伝えました。

あと、鎮静剤で眠りにつく前に父から母親に見つからないように処分してくれと頼まれたタバコとライターを使って代わりに一服を。私なりのお見送りはこの方がいいかなと思って。初めて吸ったタバコは美味しくなかったけど、これはお父さんが大好きだったものだから。私が最期に彼にしてあげられること。

まさか、父親の形見がタバコと100円ライターになるなんて思いもしなかったけど。煙草が嫌いな私ですが、きっとこれだけは処分してくれと頼まれたけど一生処分できないんでしょうね。

 

これから先、まだまだやらなきゃいけないこともあるしきっと戦う必要がいつか出てきてしまうんだろうけど。親父のお陰で私は逃げ出すことができたから、最後までやりきりたいと思います。

そういえば思い出したんですけど、電話をかけてきた知人も自分のやりたいことだけやって子供に逃げられたという話を以前聞いたのを思い出しました。

類は友を呼ぶんですかね。

親っていうだけで、誰でも聖母になるわけでは無い。

これは、端から見たら親不孝でしかない娘の独り言です。
でも、誰かに伝えたかったから。伝わってほしかったから。

 

私の母親は、今で言う所謂毒親と分類される人です。

生まれた時から私は母の【所有物】で、

好きなように操れる『お人形さん』

 

私は、母親の『 理想 』であり『 良い子 』で居なければいなかった。

 

 

小さい頃から学ぶことは好きだった。知らないことを知るのが面白くて。でも、算数など数字が出てくると何故かよく理解ができなかった。
幼稚園でたまたま英才教育を受けることになり、そこから母親の期待は上がっていって。小学校のテストで100点以外はいつも怒られた。貴方はケアレスミスが多くてだめなのよ、とあまり褒めてもらえた記憶はない。勉強ができるんだから、頑張らなきゃ、そういつも言われた記憶がある。

小さい頃からアスペルガー症候群を疑っていて本まで買っていたくせに、診断を受けたくないからと連れて行ってくれなかったこと、正直恨めしい。

貴方に私がADHDって診断されたって伝えたとき、なんて言ったっけ?

 

「あ、やっぱり?お父さんとおばあちゃんにそっくりだもんね」

 

そう言ったよね。

あの時、今までなんで言ってくれなかったのかと心から思ったよ。

 

また、普通のサラリーマンの父と専業主婦の母と私の3人家族で公営アパート育ちな私。

確かにアパートだけど、父の会社名を考えればそんなに安月給な訳ないし、自分が社会人になってから昔何気なく見た父の給料明細を思い出すと、比較的収入が多いと言われる私の仕事ですら月の手取りがその金額に辿り着くのはほぼ皆無に等しい。

今思い返せばそこまで生活が厳しい訳でも無かったはずなのに、小さい頃からうちは貧乏なのよと言い聞かされてきた。

それなのに母親が持ってきた別にやりたくもない習い事なら何とか両手で足りるくらいの数はやった。

何故か小学生の頃はわざわざ乗り換えをしてまで、近所でも習える習い事を遠い場所に習いにも行った。
中学生の頃は塾だって通わせてもらった。高校だって公立だし、専門学校だって大学に行くよりも安く済んだ。
だけど、母は機嫌が悪くなるといつも私に

 

「あんたに今までいくら掛かったのか請求書出してやろうか!?そんなこと言うなら全部返してもらうから!」

 

と言い放っていた。
好きなものなんて、第一志望だった高校に通えたくらいしか無かったのに。本当なら、大学に行きたかったのに。大学に行けって言う割に学費を出せないかもしれないって言われたから浪人することも諦めて学費の安い専門学校にしたのに。学費は出せないかもしれないのに母親の趣味のグッズや母親が買った通販は大量に買って家に置いてあったし、頻繁に外食もした。洋服だって母親が欲しい時には買ってもらった。それでもうちは貧乏なんだそうだ。

そりゃあクレカは魔法のカードだと思っていれば金はなくなるだろう。

 

また、私は母親に朝ご飯を作ってもらった記憶がない。いつも朝は母が寝ている上を跨いで学校に通っていた。

 

「朝ご飯のパンを用意してるのに、食べないお前が悪い!」

 

と何度も言われたけれど、小学校低学年の子供が自分からそんな習慣つけられるだろうか?
また、私はマーガリンが嫌いなのにいつも用意されていたのはマーガリン入りのロールパンかマーガリンを塗らないといけないただの食パン。そりゃあ食べなくなるわ。

 

友達関係だって制限されたお陰で学校ではいじめにもあったし、20歳まで携帯にGPSをつけられていて何処か内緒で出かけるとすぐに電話が掛かってきた。

地元を離れることもなかなか許してもらえなくて、強硬手段で実家から車を飛ばしてもすぐには行けない位のの距離にも就職した。これは父親の協力があったから。本当に感謝してる。

 

うちの母は娘が心配すぎるんだ、そう思っていた。

 

中学校の先生から「貴方は将来独り暮らしをしたほうがいい」と言われていた意味も分かっていなかった。
高校の先生たちが実家から離れた場所にに就職が決まったと聞いてなんであんなに喜んでくれたのか、その意味も分かっていなかった。

 

その意味は、ある時突然分かる日が来る。

 

社会人になって働いていたある日、父がとある病気を発症した上に併発していることがわかった。
普段から上辺だけでも白衣の天使として働いている私にとって、医者が言う言葉たちがどんな意味を持っているのかは痛いくらい伝わってきた。

 

父は、早くて1年後にはこの世界に居ないかもしれないということ。ただそれだけ。

 

どうにかして父に親孝行したい、そう思ったけれど母と喧嘩してしまったりして病気発覚後なかなか何もできなくって。

そんなもやもやしていた時、入社した年から付き合っていた彼からプロポーズされた。これは、願ってもないチャンスだと思った。いつか父に花嫁姿を見せたい、それは前から思っていたことだったから。

そして母に結婚したいという報告を電話でしたとき、怒り狂うかと思っていた母は意外に淡々としていて、

 

「あなたもいい年なんだから、好きにすれば?でも、お母さんも疲れてるからまだ彼氏を連れては来ないでね。冬くらいとかにして」

 

あれは残暑が厳しい秋の初めの頃の話。

母はそう言っただけ。私が覚えている限りでは。
明日また連絡する、そう言って電話を切った数時間後、スマフォの画面には意味が分からない言葉がひたすらに並んでいた。

 

読み取れたのは、

 

私の側から離れるなんて、

絶対に許さないということだけ。


数時間前と言ってることが正反対。

理解ができなかった。

母から反対され、結婚を諦めなきゃいけないのかとも思った。

でも、それだけは嫌だった。

父親には連絡して、父は好きにしろと言ってくれた。それが、唯一の救いだった。

 

そして強行突破してその年に入籍。
途中母のお陰で父と連絡がつかなくなるハプニングもあったけど、なんとか父から近況も聞きながら母から逃げていました。母からはもうあんな子は娘じゃない!!と散々言われていましたし。


ある時には母の目を掻い潜り、地元まで夫を連れ父に会いに行くこともできました。父の嬉しそうだったあの時の顔は忘れられない。

 

そして先日、父の状態が悪化し危篤となりました。先生からは、持っても1週間程度じゃないかと。病状を聞いた私は、現実に絶望するしかなかった。

目の前にあるデータ達が、父の現状を物語っていたから。

 

そんな中、

父の病室で母と私の1年ぶりの感動の再会。


久々に会った母から言われたのは、

 

私(母親)がどれだけ大変だと思っていたの!?親の許しも得ないで勝手に結婚して!お父さんとあなたのせいでどれだけ大変だったと思ってるの!?

 

と、自分のことだけ。そして平手打ちも病院のロビーで喰らいました。

他にも患者さんやら面会者だの大勢いる公衆の面前で。

 

ああ、この人は弱い人なんだなあってその時に思いました。そして、こんな人が母親だったんだなあって絶望もしました。

 

その次の日、ボイスレコーダーを持って母親と会ったときに録音された会話は理不尽なものでしかありませんでした。

未だに録音を聞くだけで吐き気がします。

談話室で顔をグーで殴られたり、

 

「お母さんこれ今まで何もできなかったから気持ちだけどとかないの!?○○万円よこせ!」

 

と言われたりなど色々とありました。
仕事を休んで地元に数日間居たけれど、あの数日は本当に辛かった。

 

そして、私は父と話して一番選びたくなかった選択肢を選びます。

 

母親をこの先一生見捨てる。
父の死に目には会わない。
もう、この病室には来ない。

 

痛みが強く、薬で眠りに着く前の父にこの事を伝えると、苦笑いしながら好きにしろと言ってくれました。

 

 

父親は私の決断に対していつも、

 

「お前の人生、俺が生きる訳じゃないんだから好きにしろ。その代わり責任は自分で取れよ」

 

そう言ってくれる人でした。

ある意味、私に対する母親の仕打ちを見逃していた罪滅ぼしのつもりでもあったのかもしれません。


母とは色々と最後まで揉めましたが、母が

 

「悪いけど、葬儀だけは出てよ!それだけは絶対に!」

 

と言うように父の葬儀だけは世間体もあるので出ろと言ってきました。

その時は連絡をくれと伝え、そのまま私は夫が待つ地元に帰りました。

 

そして地元に帰ってからある日、母からは

 

『顔を見たら刺しかねないし、今更娘面されても腹立つだけだから葬儀にも来ないで!』

 

と父の携帯を使いメッセージが送られてきました。
最後まで一貫性のない人だなと思ってます。

 

母親が親戚に私のことをひたすら悪く言っているお陰で親戚からも父の状態を聞くこともできなくて、

今の時点で父が生きているのか死んでいるのかすら分かりません。


自分の中で整理もまだついていないけれど、整理を付けるためにもここで綴ってみました。

 

私は、母からたくさんの愛ももらったかもしれません。でも、その代わりたくさんの暴力やネグレクト、モラハラを受けました。
母からの愛は、いつも母が望むとおりになった時にもらえる『条件付きの愛』でした。

 

世間一般で言う、『無償の愛』を私は知りません。

 

親だからと言って子供に何でもしていい訳ではありません。
でも、あの母親は子供が親を見捨てる覚悟を持つ位の、それだけのことを私にしてきました。

 

母には母なりの理由もあるでしょう。
でも、私をお人形さんにしていいという理由にはなりません。

 

これを読んだ上でも、私は親不孝な悪い娘なのですか?

 

 

何故、モラハラや暴力は世間一般では許されないのに、親だからという理由で許さなければいけないのですか?

 

子どもたちがこんなに苦しんでいるのはなかなか気づいてもらえない。

そんな世の中でも、希望はあると信じたい。

現実世界に聖母マリアなんて存在しない。

現在私は世間一般で言う毒親だと思われる母親と決別するために色々と戦っております。

世間では某ドラマのように過保護のなんちゃらちゃんだのお母さん私娘リストラしてもらってもいい?(タイトルごめんなさいふざけました)などと毒親が最近注目されてますね。

 

正直言って私も昔は、

 

「ちょっと厳しいくらいで他の家も同じなんだろうなー」

 

なんて思ってました。純粋無垢なあの頃は。

でも、かれこれ四半世紀生きてきて好きな人ができた!結婚する!となったときにわかったんです。

 

ああ、この人って子供を自分のサンドバッグかつアクセサリーにしたいだけなんだって。

 

子供の頃からのエピソードなら数え切れないくらいにあります。傍目から見たら外面はかなり良いお陰で娘が心配でちょっと過保護なお母さんです。だからこそ、

 

「お母さんはあなたが心配なだけよ?」

 

とか

 

「あなたがお母さんに心配ばっかりかけるからじゃない?」

 

とか周りの方々から色々なお言葉を頂いて育ってまいりました。

 

でも、一つだけ思うんです。

 

娘から何度も母親を殺したいと思われる人でも、その人はいい母親と言えるんでしょうか?

 

別に今は殺したいとかは思ってませんけどね。恨んでる人の血で自分の手が汚れて檻の中からこんにちはなんてゴメンです。

 

 

世界を見れば母親なんて数え切れない程見かけます。子どもと遊んでる人、一緒に買い物してる人、色んな母親と呼ばれる人たちが。

もしかしたらこの文章を読んでる時に隣にいる人も誰かの母親かもしれません。

 

あなたの隣にいる母親、その人って本当にいい母親なんですかね?

はじめまして。

はじめまして。

ゆきのと申します。

20代既婚。

社会人になってADHDASDの併発との診断を受けました。

毒親持ちのACでもあります。

現在も母親との戦いを続けており、これから母親との戦いや自分のADHDとしての生活などを綴って行ければと思います。

気長にお付き合いくださいませ。