とりあえず歩いてみようと思う。

ADHD/ASD診断済みで毒親持ちの白衣の天使が呟きます。

親不孝な娘?そんなことは分かってる。

このブログにも少しずつ記事を上げていますが、開き直ってる様に見えて実は未だにもやもやしていることがあります。

それは、

 

私、なんだかんだ言って周りの人に迷惑かけまくりじゃない?

めちゃくちゃ親不孝なことしてない?

 

ということです。

あんだけ開き直ってるように見えても、実はかなり葛藤はしてます。ずっと。

傍から見て、深い事情を知らない人が私達親子の関係を見たらなんて親不孝な子供だろうと思われるでしょう。親はただ私のことが心配なだけかもしれないのに。

と、そんな様なことを。

 

正直、自分が親不孝なことは自覚してます。

親の面倒を見ないと決めた時点で、兄弟が居ないので周りの人たちにどうやっても迷惑がかかることも。

親を残して地元を離れると決めたことも。

全部。

 

 

でも、学生時代のある日、考えたんです。

自分がこのまま大人になって、母親が隣にいる人生って幸せなのかなって。

母親の敷いたレールの上をひたすらに歩いていくことに意味なんてあるのかって。

これを考えたときは本当に何気なく考えただけで、そこまで深くは考えませんでしたし気にしてませんでした。むしろ、この地元から出たい!というただそれだけで就活をした記憶があります。

でも、母親が頑なに他県に就職する私に反対した瞬間、自分の中の対抗心が芽生えました。ここは母譲りの頑固さに感謝するというか。父親に協力してもらってなんとか内定承諾書の保証人欄も記入して提出し他県に内定を勝ち取りました。この間3ヶ月はまともに母親と口を聞かなかった記憶があります。

その後学校を卒業し、就職して。職場に居るといろいろな世代の人と接する機会があります。特に私の同僚はベテランの方が多く、母親と同年代の方も多く居ました。その中で自分の育ってきた環境が何となくおかしいということに気づき始めて。そして、後に結婚することになる彼氏と出会い、彼の家族を見て更に自分の家族のおかしさに気づきます。

 

親からの愛というものは、自分が何かしたときなどに得られる条件付きのものではない。

子供が育っていくのを、そっと見守って必要な時に背中を押す親も居る。

 

他にもたくさんありましたが、この2つだけは本当に驚いたことでした。自分の家では絶対にありえないことで。

 

彼の家は、私からしたら画面の向こうでしか見たことないような家庭がありました。

そして今。

彼氏だった人は今私の隣に夫として居ます。

夫と話したり毎日を過ごしている中で、ふと感じるんです。

ああ、幸せだなあって。

実家にいた時や母親とのつながりを持っていた時にはいつも私の考えの中に母親がいました。こうしたらいいかな、お母さんはこれならいいっていうかな、どうやったらお母さんの機嫌を損ねないでいられるだろう。そんなことばかり。

いま、そんなことを考えずに過ごしている日々がとても幸せです。

まあ、母親がいつ私の目の前に現れるか分からないという恐怖は日々ありますが。でも、それも然るべき対応を現在しているので、いつか落ち着くと信じて。

 

とりあえず、話がいろんな方向にずれましたが、私は反省はしてるけど後悔はしてないです。自分が自分の人生を生きていく上で、誰かの許可なんていらないって気づけたから。

だからこそ、頑張らないと行けないから。